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一般社団法人情報科学技術協会の会誌「情報の科学と技術」に平湯文夫先生の論文が掲載されました

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 一般社団法人情報科学技術協会が発刊する会誌「情報の科学と技術」に平湯文夫先生の論文が掲載されました。

 当会誌は情報科学・情報技術・情報管理などに関する新技術や内外の最新動向を毎号特集テーマとして取り上げ、わかりやすくレビューしています。情報の探し方やデータベースの比較のようにサーチャーの実務に関連する連載・講座のほか、投稿論文、海外論文の翻訳、書評、フォーラムなどを掲載し、会員相互の自由な発言の場を提供しています。情報科学技術およびその周辺分野の理論・応用に関する原著論文の発表の場でもあります。

 2018年発刊の「情報の科学と技術 Vol.68 No.6 2018」では、「図書館と企業の連携」が特集されました。
 以下に平湯先生の論文をご紹介いたします。

「平湯モデル」はどのようにして生まれたのか。
また、それは専門図書館等にも役立つのか。

 日本の図書館も、ひと頃前までの、ごく一部の人たちの利用から、全市民に利用を広げようとして革命がおきて半世紀になるが、まだまだである。まだ利用を求めることを知らない多くの市民にまで広げていくにはどうしたらよいか。筆者は、公立図書館や学校図書館で、優しく機能的な家具づくりと部屋づくりの開発と実践につとめてきて、それなりの成果をえてきた。
 今回は、その経験とノウハウを、大学図書館や専門図書館にも広げていけないかを考えてみた。
 あわせて、IT化が進む中で、閉架から資料の公開を広げて、資料の現物を五感でとらえられる図書館にしたら、図書館利用を深め、広げていけるはずだと考察してみた。

1. はじめに

「平湯モデルとは、家具づくりと部屋づくりによって図書館の利用を促すように演出すること」と定義している。新しい家具の考案、開発は勿論大切であるが、その家具を使って図書館全体を利用を促すようにつくりあげることまでを平湯モデルと呼んでいただいている。

2. 図書館数千年の歴史と私の図書館学のテーマ

 図書館数千年の歴史は、王侯貴族という特権階級のものから、宗教者、研究者、教養人、本好きを経て、一般市民、子どもたちへと底辺へ広がっていく歴史といえるかと思う。それは、人類の歴史そのものでもある。ことばをかえれば、すべての人間が賢くなり幸せになっていく歴史である。また、図書館学のめざすものにはいろいろなものがある。先端の科学技術情報をめざすものや、古い時代のものを調べるのに役立とうとするものなどさまざまである。
 それらの中で、私の生涯のテーマは、図書館の歴史そのものと同じく、一部の人々の利用から人々の底辺まで図書館利用を広げていくことである。研究者や本好きが、さらに情報や本を得やすくすることも勿論大切である。しかし私は、底辺へ広げることを選んだ。20世紀最大の図書館学者ランガナタンの「図書館学の5法則」にのべられていることも、沖縄学の祖であり、沖縄県立図書館初代館長伊波晋猷の「図書館は知識に隔てられた85%の人々にこそ開かれなければならない」ということばもそうだと思う。「知識に隔てられた85%の人々にこそ開かれなければならない」ということばは、ほんとにすごい。

3. それにしては、その家具も施設もあまりにもひどい。

写真1 子ども用

 今、学校図書館が生きかえりつつあるが、現状は、狭く、うっとうしく、物置小屋のようなところも少なくない。
 もう少し具体的に述べると、まず、大切な本の展示棚であるべき書架が、奥深い収納棚である。小学校の見上げるような高書架が、小学生にとっては「怖い」ものであることに気づく者がいない。そこで考案開発したものが写真1のような書架である。最下段まで、全段のすべての本が1冊1冊粒だって子どもたちに呼びかけてくる展示架である。一昨年の熊本地震で、平湯モデルの書架だけが、こわれることも倒れることもなく、本が落ちることさえほとんどなかったと報告をうけた。
 現状の公立図書館にも学校図書館にも大学図書館にも、まずその玄関から、すべての市民を、子どもたちを、学生たちを呼び寄せ迎えいれようとする優しさが私には感じられない。カウンターも、テーブルも、ブースも、その材質も、カラーリングも、形も、すべて無機質で堅く冷たい。写真2をご覧いただきたい。利用を広げるのに施設は極めて大切なものである。
 古都京都の新しい駅舎に驚いたが、パリ市民の集うところにと世界に求めたコンペによってつくられたというポンピドーセンターを訪ねて世界の建築家たちはどうかしているのではないかと思った。若者たちで溢れ、年寄りや子どもはあまり見かけなかった。パリの鉄の建築はエッフェル塔に始まり、ポンピドーセンターに終わるのかもしれないと思った。
 建築が巨大化していくにしたがって、コンクリートや鉄に変わっていくことはしかたがない。しかし、その鉄の冷たさを木の優しさで柔らげようという心づかいなどがいささかも感じられないのがやりきれない。


写真2 書架は展示架でカーペットはピンク

写真3 カウンターは桜の無垢材でバナナ型

 カーペットなどの色調を暖かくという希望に対して、「図書館は緊張して読書や調べものをするところだから、心をゆるませる暖色は使わない」と主張している著名な建築家の文章を見たこともある。私どもの考えは、「小学生も市民も毎日緊張とストレスの中で生きている。図書館では、まずその緊張をといて、本来の子どもに返り、人間をとりもどさないことには読書はできない。学校図書館にも、公立図書館にも、まずほっとするところをつくりましょう」ということである。こういった考えにたって設計すると専門図書館の利用も層が広がるはずと思いつづけている。
写真2、3をご覧いただきたい。高校や町立の図書館の小さな写真で恐縮だが、平湯モデルのイメージをとらえていただくのには役立つかと思う。ホームページの大きなカラー写真をたくさんご覧いただきたい。

4. 図書館の施設づくりは自分でやるしかないということになった。

 ひと頃前まで、司書課程でも司書講習でも、分類や目録が中心で、一番大切な選書や展示や予約のことなど教える教授はいないと言われていた。つまり整理技術中心であった。しかし、近年はかなり充実してきたようだし、図書館に関する出版物や雑誌記事もふえた。しかし、施設、ハード面については、建築の方からばかりで、図書館関係者による主張はほとんど見かけない。
 図書館計画等にも2,3かかわったが、家具の設計も建築の計画も自分自身がやらないことにはどうすることもできないことが分かった。そして24年前、リタイアを機に、他の分野はやってくれる人がいくらでもいるので、だれもいない図書館施設に集中してとりくむことにした。
 その頃、図書館専門メーカーや事務機メーカーから協力を求めるオファーがつづいた。そして、20年ほど前から、図書館総合メーカーをめざしていたS社と協力しあうことになった。しかし、単品中心の販売からなかなか物件の設計にならない。
 そして7年ほど前から、鋼製椅子を中心に世界にまで求められているA社から協力を求められて、設計事務所を通した物件中心でとりくむことになり、今やっと軌道にのれたかなというところである。
 そのあたりの現状は、両社のホームページやカタログ等の印刷物をご覧いただきたい。また近く、平湯モデルの集大成として『平湯モデル図書館写真集』が、後半には、つくり方の実際も添えて出版の予定である。

5. 平湯モデルは大学図書館や専門図書館にも役立つのか。

 10数年前本誌に原稿依頼をうけたとき、先端の科学技術情報等志向のはずの本誌が、どうして、底辺志向の私にだろうかといぶかった。ひきつづいて『病院図書館』誌からも依頼があり、近年、「東海地区大学図書館協議会研究集会」に講演を求められ、再び本誌からの依頼を受けて思った。施設はますます無機質化し、情報も資料もデジタル化されていく中で、平湯モデルもネットで目につきやすくなり、もしや図書館員の方たちにも平湯モデルの優しさに心ひかれる方たちができて、自分たちの図書館にも平湯モデルをとり入れられないものか。また、平湯モデルのようなものを発想するもとになるものに触れたいと思う方たちもあるいはおいでなのかもしれないと暖かい気持ちになって引きうけることにした。
 私は20代から高校図書館の経営にかかわり、学校図書館を生きかえらせる方法を模索しつづけた。そして、図書館後進国の日本に、公立図書館をつくる準備として子ども文庫づくりにも熱中した。そして40代50代では女子短大図書館にもかかわった。施設づくりもし、専門書と学術雑誌中心の大学図書館に、ポピュラーブックやファッション週刊誌なども入れ、予約制度や指定図書の書架なども設けた。すると、貸出しも来館学生も急激にのび、アンケートでは、図書館がキャンパス内でだん突の人気の施設となった。図書館利用が学生たちの底辺へ広がりはじめたと思った。
 その後、学校図書館を百数10館、公立図書館を20館余をつくった。いずれも格段の利用実績をあげている。
 その経験とノウハウを大学図書館や専門図書館に広げたい。平湯モデルの方法と思想があればどんな館種でもどんな館にでも利用を格段にふやせると思っている。

6. 底辺に広げるとはどういうことか。

 率直にきびしく言えば、全館種において、「利用を求めてくる者」によりよく応えるのが仕事と思っている人が多いように思う。大切なことは、利用以前の人たちを利用者にすることである。きびしい状況の中で精いっぱいということも事実であろうが、どういう分野でも、どんなにいいものかということを体験してもらうことで改善されていくものである。この半世紀における公立図書館の飛躍的発展は、貸出冊数を飛躍的にふやし、利用を市民の底辺へ向けて広げたことによる。
 まず公立図書館は、長く、研究者やよほどの読書好きだけの利用にとどまっていたものを、貸出中心、予約制度、児童重視、全域サービス等々の方法をとり入れて発展した。大学図書館も教授本位、学術書、学術雑誌中心から、学生にも開いていくことで発展しはじめている。学校図書館も、本もない、図書館員もいない、よほど本好きの極く一部の子どもだけの利用から、本もふえ、人も配置されはじめて、小学校など、平均で年間児童一人あたり100冊をこえる貸出をする学校もふえている。みな、全員へ、底辺へと新しい方法を求めた成果である。
 それでは、専門図書館全館にそれを及ぼすことができるであろうか。必ずできると思っている。

7. 市民生活にも身近な患者図書館から見てみよう。

 患者図書館の歴史は新しいが、病院図書館はドクターに欠かせないものとして古く、資料も検索手段も人も一応ととのっている。患者図書館は患者や家族のための図書館として近年日本でも広がりはじめているようだ。インフォームドコンセントとかセカンドオピニオンなどといわれても、病院の中に患者図書館がなくては、大半の患者や家族にとって、その効果はあまり期待できない。ドクターも看護師もいる病院内に、司書のいる患者図書館があったらどんなにいいことかと思う。
 先進的な病院においては、患者図書館を設ける模索ははじまっているようだがもどかしい。
 素人考えではあるが、せっかく、人まで一応ととのっている病院図書館の中に、患者図書館をとりこめないものかと思う。勿論乗り越えなければならない問題は多い。新築の計画のあるところで計画の段階からぜひとりくんでほしい。


写真4 丸テーブルは人を仲良くするとか

 まず、医局、病室、ナースステーション等々を、外来に近づけた基本設計ができないものであろうか。その外来の近くに、病院図書館を設けたい。その病院図書館の奥の部分にしっかりドクターのための病院図書館を設けて、入口近くに患者図書館を、両者の中間にカウンターを設けたい。その患者図書館には、写真4のような丸テーブルなどもおいて、多忙な中にも、ドクター、看護師もしばしブレイクがとれて、患者も家族も談笑できるようなものができたら、両方のストレスもとれ、なによりのセラピイになろうに、などというのは夢物語だろうか。
 病院図書館といえどもドクターから、看護師、薬剤師、検査技師、療法士等々まで広げていく余地はいくらでもあるし、患者から家族、市民にまで広げなければと思う。それには、平湯モデルによる優しさは大いに役立つはずである。

8. その他の専門図書館にも広げていく余地はいくらでもあるはず。

 内部職員の利用もいくらでも拡大できそうなことは、訪ねたいくつかの状況からもうかがえる。現状は、書架もブースもカウンター類もメタリックグレーの無機質で、レイアウトも四角四面、アメニティに欠ける。そこに、平湯モデルがとり入れられたら一変するはずである。
 内部利用のところが多いかと思うが、外部への開放もあっていいはずだし、それから得られる利点は多いはずである。図書館員のなによりのモーティベーションは、自分の仕事は、そんなに役立つのか、喜ばれるのかということを体験することによるからである。仕事が忙しくなれば、疲れるけれども、喜び・生きがいも倍になることを知るべきである。

9. 実物資料に五感で触れることの大切さを認識したい。

 最新の科学技術情報にITによってアクセスすることは、不可欠であるが、本や雑誌の実物に五感でふれてとらえることの大切さの認識も重要である。
 人口5万余の自治体に初めてできる図書館に、書庫は自動化書庫だけというところがあり、私に身近な人口40余万の実質中央図書館の書庫は、自動化書庫だけである。検索機能が進んでいるとはいえ、市民も図書館員ですらも、ディスプレイ上の書誌でしか見ることはできず、まして蔵書構成も周辺の資料もほとんどとらえられないのではないか。請求された本をディスプレイ上の書誌だけで提供していることはないか。利用者も本の内容など吟味できないまま、受取ることを余儀なくされていることはないか。図書館を倉庫の物品管理と同じ発想で、国内だけでも何社も競って開発し、それを図書館でも競ってとり入れているように見えてやりきれなかったが、その後反省はあるのだろうか。
 自動化書庫は、今建築中の東京大学中央館の1千万冊の蔵書をデジタル化して廃棄するか残すか議論の末、図書館前の地下に自動化書庫をつくって300万冊を収蔵しようとしている場合などに限って許されることではないのか。
 もう40年以上も前、UCLA(University of California、Los Angeles)の中央館を訪ねたとき、時間とことばの制約で確認できないままであるが、アメリカの大学図書館には、蔵書は原則開架で、そこには人も置くという思想があるのではないかと思っている。そう思うのは、日本でも、国立でも筑波大、名古屋大など、私大でも、慶応、早稲田、上智、明治などと広がっているようだからである。大学が先行しているのは、外国の大学の経験者が多いことと研究調査には、内容にあたらないわけにはいかないからではないか。また、アメリカに開架が多いのは、図書館の歴史が新しく、市民の図書館から始まったからではないか。
 私の学生時代、大学図書館も公立図書館もほとんど閉架であった。その後、開架は進んだが、閉架の思想の姿勢は根強いように思う。
 20余年前、公立図書館で、公開書庫とか開架書庫とか呼ばれるものが広がりはじめたが、私はこれは大変すぐれた方法で、全館種で大いにとり入れるべきだと思っている。
 つまり、鮮度とポピラリティの高いもの、全蔵書のざっと50%を開架に、利用が極端に少ないもの、傷みかけたものなど10%ほどを閉架に、残りの40%を公開書庫にしたい。
公開書庫のつくり方は、公立図書館ではまず、立地は、開架につづけて設けたい。子ども室や郷土、参考室は別のフロアにしてもよい。スチールの高書架でもよく、書架間隔は80センチでもよい。とにかく、資料の実物に五感で触れられる図書館をつくって、図書館利用を広げ深めたい。

10. おわりに

 先日の新聞に「スマートホンが子どもの発達に与える影響について考えるシンポジューム」が福岡であり、世界的なゴリラ研究者山極寿一京都大学総長が講演で「ネット社会によって五感を使った交流が失われつつあるとし、子育てをとり巻く現状に懸念を示した」とある。また、ネット依存で脳神経細胞が死滅したという研究もあるという。生物の組織は使われることによって発達してきたのだから、使わなければ死滅するのは当然であろう。
 材質も形も色も無機質化した図書館に平湯モデルをとり入れることと、資料の実物に五感でふれられるような図書館をつくることで、図書館や資料室の利用を広げ、深めようという私の提言にうなづいてくださる方があれば幸いである。
 私は、専門図書館や大学図書館の経験は乏しいが、きっとできると思っている。なによりも、平湯モデルの普及に協力いただいている大・中・小3社に、平湯モデルに専任あるいは兼任の社員が10名近くおられるが、それらの人たちが全員、平湯モデルの仕事に熱心で喜びを感じておられるように見えることである。とりわけ図書館員の方たちをはじめ、管理職や行政の方たちまで、据えつけ時にも、完成時にも、また開館後も喜んでいただき、親しくしていただくことが、ほかの仕事では経験したことのないことだということのようである。専門図書館や大学図書館でもぜひ経験させていただけたらと思う。


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