研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.066


先々号で予告した四国、東かがわ市の小中共用図書館でお話しました。

 20年以上前からおつきあいのご婦人が、自分のまちに、校舎が新築されることをきき、なんとしてもと、つてを求めて教育委員長さんに訴えられたところ、しっかり受けとめていただき、伝えられた教委も担当者も、みごとなとりくみで、ほんとにりっぱな図書館ができあがりました。行きとどいたことに、教育委員長さんはじめ、教委の方々から市内全校の管理職、図書館担当の先生方、学校司書、新しい学校づくり協議会委員、読み聞かせグループに市外参加希望者までも案内されて、80名近い参加者で、広い学校図書館が、あふれました。


 なんと、ここは、私が高校生の頃から敬愛しつづける南原繁生育の地だったのです。氏は、私が高校生の頃の東大総長であり、その頃、時の吉田茂首相がソ連、中国を含まない、アメリカ中心の片面講和条約と安全保障条約を結ぼうとするのを全面講和にさせようと闘った人です。吉田茂の現実主義は、その後の日本の平和と繁栄をもたらしましたが、その後の東西冷戦は、人類を何百回も破滅させる核軍備競争となり、国民を窮乏させる人類史上最悪の愚劣におとしいれました。南原繁は、それを見抜いて命がけで闘った人だからすごいと思うわけです。
 氏は貧しい母の手一つで育てられましたが、大変賢い人でしたし、賢い以上に努力の人でした。さらに、それ以上に人間がりっぱだったのです。小学1年から東大卒業まで主席をとおし、卒業後も、東大総長、学士院々長、戦後の教育刷新委員会の委員長等々、すべてトップに選ばれたことから分かります。
 氏にかかわるものを読んでいると、いつも心が洗われる思いがします。私は、南原繁に、この東かがわの学校図書館づくりに導いてもらったような気がしてならないのです。一市民がうごきはじめられてから、できあがって、校長先生と担当学校司書に任せるまで、この大変な仕事が実に気持ちよく進められたのです。吉田松陰や西郷隆盛ゆかりの地でも似たようなことを思いました。



 母校三本松高校(当時旧制大川中学)図書館とならぶ「南原繁資料コーナー」 岩波新書の『南原繁』をお読みください。


そのあと、高速バスで淡路島を渡って奈良へいき、さらに鹿児島へ。

 先号で紹介した奈良日日新聞のキャンペーンの協力で奈良へ行って研修会をもったあと、みんなで奈良県産の杉や檜で、校舎だけでなく家具までできないか可能性をさぐるため、県南の集成材工場など訪ねました。
 それから鹿児島へ飛んで、手づくりで学校図書館を生きかえらせている高校図書館を訪ねてみると、県内各地から学校司書が10名も集まっておられたことと、3年前、ここで手づくり改修の研修会をやったときから、さらに格段にすてきな図書館になっていることにびっくり。


 事務長さんとボランティアの協力でこれくらい改修ができるということを実際に見て、自分たちもやってみようというのがりっぱです。『3千円から3万円でできる学校図書館の手づくり改修法』を出版したかいがあったと思います。
 そのあと、学校図書館問題研究会九州地区集会に参加。会場は霧島の麓の国分高校。ここの図書館もりっぱでした。夕食から霧島温泉に移動して、翌日正午まで。終了後、みんなで、13年前、平湯モデルでつくった湧水町くりの図書館へ。開館の年から鹿児島県のトップに躍り出たこの図書館は、その後もずっとほんとにりっぱ。つくった時から同じ町長さんで、2週間に1回は必ずやってきて励まされるという。トップがこうだと、館員全員がちがうのです。


 奈良の集成材工場。


湧水町くりの図書館は書架がほんとに美しい。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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