研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.78


国産材の杉、桧による家具づくりにいよいよとりくみます。

 世界一の自動車メーカートヨタの本拠地豊田市に平湯モデルの小学校図書館ができたのを見に行って、教委や先生、司書の方たちに、使い方の話をしました。もう一つ、豊田市の市有林の杉材を建物に使っているのを見て、今、計画中の2校目は、平湯モデルの家具も、市有林の杉や桧でできるはずだと、家具製作所や愛知の人たちもいっしょに検討しました。
 戦後、日本中に植林した杉や桧は使わず、輸入材に頼って、山も林業も荒れ、花粉症に悩んでいるのを、なんとか国産材を使って国土を救おうと、やっと国も本腰を入れています。国産材の杉や桧は、針葉樹の軟材で、軟らかくて傷がつきやすいとか節があるとかで、家具材には使わないことになっていたのです。傷や節はそんなにいけないことか。なんとか使いたいと思いつづけていたところに、家具製作所の代表者の方も、かねがね思いつづけておられたことが分かり、研究や試作品づくりにとりくんでいたところへ、豊田市からも、ぜひ市有林の杉や桧を使ってほしいということで、渡りに船ということになったのです。とても楽しみです。
 午後いっぱいの長時間、全員、私の平湯モデルやその使い方の話まで、聞き入っていただいたのも嬉しいことでした。


翌日は、岐阜市教委による研修会。翌々日は可児市立図書館などで。

 ジグソーを使った楕円の切り方も体験してもらいました。

 岐阜市では、午前は、市立の小中全校に配置された学校司書の方たちに。午後は、全小中学校の係教諭の先生たちに。可児市でも、自主参加なのに大勢集まっていただいた。午前は可児市立図書館で、午後は、市内のK高校図書館に会場を移して、午前の話を実際の図書館にあてはめながらお話し、質疑も受けたのは、分かりやすかったのではないか。男性の司書Tさんは数年前から『3千円から3万円でできる学校図書館の手づくり改修法』を広めてくださっていて、実作もしておられるので、楕円展示台の実作も試みた。土曜の休みの日の自主参加に、大勢、遠くからも集まられて、熱心にきいていただいたのは、Tさんの信望のなせるものと思った。学校司書の1人職場は、特異な職場。その中で、こんな自主研修ができるのはすばらしいことだと思った。


30歳で夫に戦争で先立たれて、以後70年、1人で生きてきた義母を見とりました。

 11歳の私の妻を頭に3人の子どもたちをつれて満州から命からがら引きあげ、以来女手ひとつで子どもたちを育てあげ、99歳まで1人で生きつづけたのです。太平洋戦争だけでも、軍人だけで230万人も亡くなったと言われます。その1人ひとりに、妻がいて、子どもたちがいて、父母がいて、夫なしの妻、父親なしの子どもにされた者は数もしれません。一方、私の家では、2人の兄が帰らず、1人の兄は長崎の原爆で家族を失いました。兄の戦死を知らせる電報を受けとった母は、畳をたたいて号泣したと、最近になって義姉の自伝を読んで知りました。小学5年生の軍国少年の私には、見せなかったのです。正月についた餅を、夏休みに帰ってくる子どもたちに食べさせようと、大瓶につけた水を毎日朝晩替えて待つなど、慈しみ育てた子どもたちを有無を言わせず死地に駆りたてたのです。今、隔差社会が急速に進んでいます。隔差が進めば、徴兵制などいらなくなるのです。政治家には、靖国に詣でるより、これからの戦争の火種をつくらないことにこそ、死力をつくしてもらいたいものです。
 愚劣な太平洋戦争を始めたのも、日本の指導者たちです。せめて沖縄戦の前に、東京などの大空襲、広島、長崎の原爆の前に、戦争をやめるうごきに従っていたら・・・。
 義母の死で、様々な思いに幾夜か目がさえました。葬儀は、若く美しかった頃の写真を、子どもと孫と曾孫たちで囲んで、つつましく、みんなで心をこめて送りました。
 亡くなるその日まで笑顔をたやさなかったのはりっぱです。


 K高校図書館では、玄関の内側に、帰るとき見えるように、こんなものが掲げてありました。このことばもすてきです。貸出すとき「ありがとうございます」という公共図書館がありますが、「またどうぞ」の方がよくないでしょうか。「面展示」「返却」などのことばが抵抗もなく使われているのも気になります。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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