研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.056


なかなかできなかった手紙類の処理にかかる。

 物持ちがよく捨てられない性分で、ほとんど一生分がとってあった。あるわあるわ。ほんの一部に手をつけ、その何割にお別れができたことか。それぞれ心をこめた手紙に目をとおして、別れを惜しむ。それでも別れられないものが残ってしまう。そう容易に捨てられるはずがない。たくさんの人たちといろんなことをしてきたものだ。一生を生きなおしている思い。すべてを読みなおして始末するのにどれだけかかることだろう。そして、残したものをもう一度読みなおすのにどれだけかかることだろう。そして、残したものをもう一度読みなおすことができるだろうか。
 学生のレポート類もまだけっこう残っている。新聞等の切り抜き資料なども、一つひとつが自分を形成してきたもの。そう簡単に捨てられるはずがない。
 40歳すぎた頃から年賀状は一切失礼することにしてしまった。しかし、手紙はたくさん書いた。今も書き続けている。全国の数えきれない人たちとおつきあいをもってきた。


先日の上京でもすてきなものに出会いました。

 先日の上京でもすてきなものに出会いました。これは代々木駅の近く。お茶の水あたりにも、長崎の自宅のすぐ近くにもありますし、旧国鉄のガード下など、どこででも見られるはずです。たかがガード下に強度もしっかり考えたこんな美しいものがつくられたことに心をうたれます。日本中に鉄道が敷かれた頃、お雇い外国人の指導で全国に広がったものではないでしょうか。イギリスのブリティッシュレイルなどにも今でも残っているのではないでしょうか。こんな美しいものが、心ない技術者によって鉄筋コンクリートなどになってしまわないよう祈るばかりです。


30台の頃教えた高校生の還暦同窓会に招かれる。

 この学年は、女子ばかりのクラスで、同総会の度に、卒業記念に51名全員に贈った『壷井栄童話集』のことを話題にしてくれていたが、今年は、長野から初めて出席という卒業生が実物を持参してくれたので一段ともりあがった。みんなまだもっているという。
 高校で教えていた19年間、定期試験が終わった次の時間は必ず全クラスに読みきかせをしていた。まだ、すぐれた子どもの本も、子ども文庫も公共図書館もない時代で、太宰の『走れメロス』など、これだけで、本好きになったという卒業生はたくさんいる。壺井栄は『柿ノ木のある家』を読んだ。
 現役時代の19年間は、3校で高校生に国語を教えながら学校図書館もあずかっていたが、3校目など、受験指導の熾烈な進学校で、自分が志したものとはほど遠い指導を余儀なくされた。端的に言えば、受験で高得点をとらせるための指導である。もとより試験問題は、受験生をふるい分けるためのもの。著者自身「私にも答えられない」と言う設問も少なくなかった。それは国語に限らない。
 そういう中でやった名作の読みきかせのことを、会う卒業生ごとにきくのは嬉しい。本の力であり、教育に読書が欠かせないゆえんである。


大手の設計事務所を聖母学院小学校と立命館小学校に案内する。

 全国各地で学校建築にもかかわる大手の設計事務所に平湯モデルの学校図書館に関心を持ってもらえるのはほんとに嬉しい。立命館小は創立7年目。1年生から4年生までの平均では、1人年間150冊も借りているというからすごい。また、「立命館中学に進んだ生徒の中で、この立命館小学校出身の生徒は読書量がぬきん出ているそうです」と、かつていっしょにこの図書館づくりをした教頭先生は嬉しそうだった。



 立命館小学校メディアセンター。左はカウンターのあたり。右はは同メディアセンタ ーの一番奥の「調べ学習のエリア」。子どもたちの入っている写真を使わせていただきたかったので開館の頃の写真にしました。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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